rikuさんありがとうございます!
先日のきみさんの記事に出ていた埼玉県の稲荷神社の件ですが
埼玉県東松山市にある箭弓稲荷神社というのがあります
その中にこんな武将の絵がありました。参考になればと思います。
きみさんの記事はこちら↓
むむむ。
霊視したら合ってるそうです。
判明です(^_^*)
人間が狐の上に乗っているようなイラストですが、
私がみたのは白い狐のお面を被った神仏でした。
実物の方がハンサムだと思います。
合ってるらしいけど、どういうイラストなのか、どんか神社なのか早速調べてみました!!
ヤキュウと読むんですね。
神社のホームページがあったので貼らせていただきます。
箭弓稲荷神社 – 箭弓稲荷神社は、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全の守り神であり、厄除、火難除、開運、学業成就などの祈願社として古くから信仰を集めている、埼玉県東松山市にある神社です
御由緒
御祭神:保食神(うけもちのかみ)
当神社のご創建は、和銅5年(712年)と伝えられ、規模の大きさ、ご社殿の荘厳さとご霊験のあらたかさで、大勢の方々の信仰を集めています。社記によると、平安時代の中頃、下総の国(千葉県と茨城県の一部)の城主平忠常が謀反を起こし、またたく間に近隣諸国を切り従え、ついにその威を関八州にふるい、大群をもって武蔵の国(埼玉県と東京都・神奈川県の一部)川越まで押し寄せてきました。
朝廷は、武門の誉れ高き武将源頼信を忠常追討の任に当たらせ、当地野久ヶ原に本陣を張り、頼信が野久稲荷神社に夜を徹して戦勝祈願をしたところ、明け行く空に箭(矢)の形をした白雲がにわかに現れ、その箭は敵を射るかのように飛んで行きました。
頼信は、これぞ神のご加護と奮いたち、自ら先頭に立ち敵陣に攻め入ると、ふいを突かれた忠常軍はあわてふためき、一旦は後退したもののすぐに盛り返し、三日三晩にわたる激戦も、神を信じ戦う頼信軍が勝利しました。
帰陣した頼信は、ただちに野久稲荷に戦勝報告を済ませると、この勝利はご神威、ご神徳によるものだとして、ご社殿の建て替えを寄進するとともに、野久稲荷を箭弓稲荷と改めて呼ぶようにと里人に命じたのでした。
以来、箭弓稲荷神社は松山城主、川越城主をはじめとして多くの人達等の信仰を集めてきましたが、平和な時代を迎えるとともに、前にも増して隆盛を極め、特に江戸時代には、江戸(東京都)をはじめ、四方遠近からの参拝者で社前市をなしたといわれています。
現在も大小百あまりの講社があり、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全の守り神であるとともに、交通安全、厄除、火難除、開運、学業成就、芸能向上等の祈願社として信仰を集めています。
なお、境内のぼたん園では四月中旬頃より、花王と呼ばれる牡丹が、藤やつつじと咲き競い、目を楽しませてくれます。
うーむ、神社のホームページから引用させていただきましたが、神様自体についてはあまり書かれていませんね。
創建は和銅5年、平安期に平忠常討伐に向かう源頼信が白狐に乗った神から箭(や)と弓を授かる夢を見て戦に勝ち、これに感謝して社殿を寄進したと伝えられます。
現社殿は天保年間に建立され(県指定文化財)、権現作り、社殿内外の彫刻は高度な技巧を活かしています。五穀豊穣、商売繁昌、家内安全の守り神として信仰があります。
また、境内のぼたん園では4月中旬頃より、牡丹の花が見頃となり、藤やつつじと咲き誇ります。
凄い簡潔で分かりやすい。
rikuさんありがとうございました😊
きみさん、行ける機会があれば是非挨拶がてら観光でも楽しんでみてください✨
では!