渥美結喜の秘密の箱庭

霊体と肉体の視点から日常を徒然

分霊箱と審神者と特別な人はいない話

これまで色んなことがあって、

先日、白山まで辿り着いた渥美です。

 

どういうことなのか考えたのですが、

神社にいる大元の霊体自身が自分なのか、

それともハリポタのヴォルデモートの分霊箱のような話で、

私は白山の神仏の魂の一部ということなのか。

 

私が考えるものとしては分霊箱の方だと考えます。

なので、私は白山の神仏の霊体の分霊箱であって、末端に過ぎないのだろうと思います。

 

『どんな方でも内に神がいる』

 

ということは、霊的な側面では確かなことです。

ですが、逆なことも確かです。

 

『どんな方でも内に悪魔がいる』

 

ということです。

 

人生の中で沢山の選択肢・岐路に直面します。

時間がたてば解決したように感じることでも、時間では解決できません。

 

その障害は、再度人生の中で表に出てきてしまいます。

 

人生の中に発生する障害に対して、常に自分とはを突き詰める。

 

それが誰の中にも存在する内なる神に繋がる唯一の方法なのかなと思います。

 

夫が私のブログを読んで、白山ひめや菊きりひめについて調べてくれたようです。

調べるなかで『私は生まれかわりだ』ということを書いてる方々もいたようで、夫は怖いと言ってました。

 

私も分霊箱の要領で考えますと、

私と同じ白山や菊きりひめに繋がる方は世の中にいると思うのですが、

生まれ変わりというのは正しくありません。

 

うーん、魂や霊界の本質を知らずに語るのは審神者的にも危険な思考であると感じます。

 

ですので、今回この記事を読んでくださった方に理解してもらいたいのは

誰でも神の末端であること、ただ一人が特別なことは決してないということです。

 

神でさえも、一つの大霊の末端です。

 

そして、誰でも神に繋がるということは、

誰でも悪と繋がるということ。

 

自分に不思議な力があるとか、見える聞こえる、神と繋がっているがどういう状態に自分があるのか。

 

しっかりと審神者してほしいと考えます。

 

昔は霊媒審神者は別のものが担っていましたが、現代では霊媒の力ばかりに片寄っている方がとても多いと思います。

審神者の力を育てている人が少ないです。

 

ぜひ審神者の重要性を知り、常に自分自身に対しての審神者していってほしいと思います。

 

では!